地域レポーター情報

仙台青葉区の伊達家北山五山の東昌寺に大須賀筠軒(おおすがいんけん)先生のお墓があります。

2007年12月27日  投稿者:kairyu
磐城平藩藩校の儒学者、神林復所の三男として平に生まれました。早くから学才を発揮し18歳で江戸の昌平校(東大の前身)に学んでいます。
父の神林復所は平藩安藤家儒者の和田佐吉の長男でしたが、母方の神林家に継嗣がなく絶えたので、八歳の時養子になりました。早くに昌平校に学んでいます。
久之浜の大須賀氏に筠軒は婿養子に入りました。
明治に入り、福島民会規則創定委員。行方、宇多郡長、仙台に移り大学予科漢文科授業嘱託、第2高等学校教授などを歴任し、他にいわきの風物を細かに記録した磐城資料や、巡村雑記、舟門小誌、絵画、漢詩など多数を製作しており、文化財になっているものもあります。波立薬師寺に先生の漢詩を刻んだ詩碑が建立されています。当時は日本で屈指の文化人でした。
大正元年没、享年72。
仙台青葉区の伊達家北山五山の東昌寺に大須賀筠軒(おおすがいんけん)先生のお墓があります。

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